歴史・沿革
開学の礎
本校の礎は、創設者柴田やす先生が、女性の地位向上と社会的自立のため弘前市鍛冶町の借家に15人のお針子を集めた裁縫塾からの出発にあります。
設立と繁栄
大正12年、各種学校令による女子実践教育の学校として正式に認可が下り、「弘前和洋裁縫学校」が設立。創立10周年の昭和8年の記録では、在籍生徒数571名とあり、その内、他府県出身者は6%強に当たるということで、「弘前和洋」の名が県内外に知れ渡っていたことを証明しています。
「柴田女子高等学校」の開校
「弘前和洋裁縫学校」は、時代と共に種々の変遷を経て、昭和23年4月、国の学制制度改革により、新制高等学校として「柴田女子高等学校」が開校されました。
教育に捧げた70年
やす先生は、経営する中学校、高等学校、専門学校、栄養学校の全校長に加え「東北女子短期大学(現:柴田学園大学短期大学部)」の初代学長に就任。その生涯を女子教育一筋に捧げられましたが、昭和25年5月、終生の念願であった「東北女子短期大学」開学式の栄えある壇上で急逝、教育者として最も美しく最も劇的に苦闘70年の生涯を閉じられました。
初代校長 柴田やす先生
大学を 建てししるしに 乙女どち
はげみ学びて つくせ世のため
継承と興隆
学園創設者柴田やす先生の次女今村敏先生は、その精神を継承し、本校第三代の校長に就任すると共に、学長・校長・園長を兼務されて学園諸校の発展に努められました。
昭和44年には「東北女子大学(現:柴田学園大学)」を開設し、大学・短大・専門学校・高校・幼稚園からなる、東北でも有数の女子教育の殿堂である「柴田学園」を築かれました。
功績と栄誉
今村 敏先生は、教育功労者として昭和42年藍綬褒章、49年には勲三等瑞宝章に輝かれました。前者は創設者やす先生と母子二代での受賞、後者は本県女性として到達した最高の栄誉でした。
昭和51年12月、惜しまれつつも73年の生涯を閉じ、心胆を砕いて学園の発展に力を尽くした功績により正五位に叙せられました。
三代校長 今村敏先生
この道のほかに道なし この道を
祈りつつ行く 行じつつ行く
建学の精神
教育即生活
厳しい実社会を生き抜くためには、高い教養と品性が備わっていなければならない。また、いかなる困難な状況においても、強い意志と高い希望を持って乗り越えてゆく勇気と心構えが必要である。
本学の「建学の精神」は、教育の中にこそ、これらの「人間力」を身につけさせる場面があり、それを実際の生活の中に活かしていくことに、真の教育の意味があると説いています。
校訓
「建学の精神」を基に、昭和5年1月に「校訓」が制定されました。
校歌
作詞 弥富破摩雄 作曲 田村虎蔵
1.
みそらに高き岩木山
ふもとに広き津軽野辺
高きを永久の操にて
広きを常の心とす
2.
春はかすみの衣裁ち
秋はもみじの錦縫う
截ち縫うわざを白糸の
ちりにけがれずひとすぢに
3.
むつびかはしておとめどち
ほたるの光雪のいろ
あつめず学ぶおほみよに
うまれあひしをかしこみて
4.
世はさまざまに変われども
変わらぬものは人の道
あらぬ小道にさまよはで
進み進まん日に月に
昭和3年11月制定
校章
大正12年、柴田学園高等学校の母体、弘前和洋裁縫女学校創立に際し、柴田やす先生によって制定されました。
その由来記によれば、「梅花」は「霜雪を凌ぎ百花に先がける」とあり、その姿は、我慢強さと率先して範を示し、またその清香は、心清らかでけがれのない姿を表しています。
先生は、物欲や明利にこだわらず、艱難辛苦にもくじけない志操を理想としていました。これを学校の精神とすべく、本校の校章は、梅花の輪郭の中に「髙」をしつらえ、誰言うとなく「寒梅」と呼んで、今もなお生徒の胸に燦燦と輝いています。
略年表
大正12年2月10日 | 弘前和洋裁縫女学校設置 |
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昭和3年3月15日 | 実業学校令により甲種職業学校に昇格 |
19年9月1日 | 柴田女子実業学校と校名変更 |
22年4月1日 | 柴田中学校設置 |
23年3月31日 | 新学制制度制定により「柴田女子高等学校」設置 |
27年12月30日 | 旧東北女子大学校舎に調理室新設 |
28年9月3日 | 文部省産業教育研究指定「農村作業着並びに家庭着」の研究 |
30年3月31日 | 産業教育施設国庫補助により調理室、研究室その他増設 視聴覚教育賞「学校教育部門」文部大臣賞受賞 |
32年7月6日 | 文部省産業教育研究指定「津軽地方の食生活改善」の研究 |
38年6月30日 | 高校急増対策として円形校舎(鉄筋コンクリート四階建)竣工 |
10月15日 | 学園創立40周年記念式典並びに円形校舎落成の式典挙行 |
30日 | 第二南枝寮(高校寄宿舎)、基準テニスコート2面、バレーコート2面増設、学校植林完成 |
41年4月10日 | 衛生看護科(定員120名)保育科(定員150名)増設 |
42年2月28日 | 岩木山麓桜林に学園山の家落成 |
43年10月11日 | 柴田学園総合グラウンド完成 |
47年2月3日 | 第11回冬季オリンピック(札幌)に、本校卒業生赤坂明子選手がクロスカントリー種目に出場 |
7月20日 | 旧校舎焼失 |
48年6月14日 | 学園創立50周年記念式典並びに新校舎竣工の式典挙行 |
50年2月13日 | 昭和49年度第24回全国高等学校総合スキー大会女子総合優勝 |
54年3月31日 | 衛生看護科廃止 |
7月15日 | 生徒会館竣工 |
8月9日 | 第26回NHK杯全国高等学校放送コンテスト「ラジオ課題部門」文部大臣賞受賞 |
9月5日 | 柴田学園総合グラウンド陸上競技場三種公認 |
55年8月23日 | 家庭クラブ会館竣工 |
57年8月6日 | 全国高等学校総合体育大会ソフトテニス部第4位 |
58年9月14日 | 学園創立60周年記念式典挙行 |
平成2年12月10日 | 第18回日本映像フェスティバル「ヤング部門」文部大臣賞受賞 ※「いつまでも輝いて~おじいちゃんのためにも」 |
3年4月1日 | 保育科募集停止し、定員を450名に変更(普通科315名・家政科90名・秘書情報科45名) |
4年12月18日 | 学園山の家「ヴィラ柴田」竣工 |
5年4月30日 | 学園創立70周年記念式典挙行 |
10年8月3日 | 木造校舎一部解体 |
11年3月2日 | 体育館新築竣工式挙行 |
14年4月1日 | 定員を210名に変更(普通科120名・家政科60名・秘書情報科30名) |
15年4月1日 | 秘書情報科を情報科に科名変更 |
5月14日 | 学園創立80周年記念式典挙行 |
21年12月7日 | 平成23年度北東北全国高等学校総合体育大会スローガン最優秀賞受賞 「北の空 君に無限の可能性」 |
22年9月30日 | 家庭クラブ会館及び南枝寮解体 |
23年3月14日 | 第66回国民体育大会冬季スキー競技「大回転」押味 輝選手優勝 |
25年4月1日 | 1年次普通科(定員120名)・家政科(定員60名)・情報科(定員30名)を、「普通科・家政科・情報科」(定員210名)の一括募集に変更 |
5月14日 | 学園創立90周年記念式典挙行 |
8月31日 | 第二体育館及び生徒会館解体、第二体育館跡地を駐輪場に整備 |
27年12月17日 | 旧東北女子大学校舎に調理室新設 |
29年3月17日 | 「調理師養成施設」指定 ※平成29年度入学生から、2年進級時に「調理師コース」を選択した場合、卒業と同時に「調理師」の国家資格が取得可能となる |
30年7月23日 | 男子トイレ設置など男女共学化に伴う改修工事開始 |
31年4月1日 | 「柴田学園高等学校」と校名変更し、男女共学化となる | 令和3年6月7日 | 男女共学化に伴う改修工事終了 | 9月27日 | 柴田学園大学と連携して、高大接続科目等履修を開始 | 4年4月1日 | 柴田学園大学附属柴田学園高等学校と校名変更。柴田学園大学及び柴田学園大学短期大学部との高大一貫教育を開始 |